実験レポート 中国上海にて

このまえどこかで読んだか誰かがいっていた言葉で、


”まったく言葉の通じないところに行ってみれば、純粋に自分のコミュニケーション能力が分かる”


とあった。この言葉がなんとなく引っかかっていたというか、興味をそそられていたので、このGWを利用してそれを確かめてみることにした。出来ればヨーロッパに行きたかったけど、お金も時間もかかるので、手短に亜細亜にした。航空券の都合上、上海に決定。大学1年のときに半年だけ中国語やったけど、北京語だったし、ほとんど赤点だし覚えていないのでまったく言葉が通じないのと一緒。ということで、条件もクリアしている。


で、実際に行ってみた。事実、この旅で使えた中国語といえば「ニイハオ」と「謝謝」と「再会」だけ。他はまったく分からない。それに思った以上にみんな英語が出来なくて、これも条件にはまっていた。それでも、中国人のいいところは、相手が理解するはずも無い中国語を積極的に使ってくること。もちろん、僕も相手が理解するはずの無い日本語と片言の英語で応戦。まぁ、基本的にはこれでは通じない。だから、手を使ったりリアクションをしたり絵を描いたり感じを書いたり。名詞とか動詞とかはこれで伝わったりもする。伝わらないものはあきらめるしかない。


無理なことに嘆いていても仕方ない。
そういう強さも一緒に学ばせてくれる。


僕の中で一番の収穫だったが、感情表現。言葉の意味が分からないので、表情とか声のトーンに自分の感情をこめる。それに対する相手の表情にも注意を払って、相手の出方に対して瞬時に自分の意図するリアクションを返す。これって普通に会話をするときよりも、運動神経が大切。言葉に落とせるものなら、文脈をたどって後から意味を推測しなおして、とか言う作業が出来るけど。言葉も何も無いから、その瞬間瞬間、タイミングのあうかどうか、つまり後に痕跡が残らないメッセージのキャッチボール。それに自分の投げた球をちゃんと相手に見せ付ける必要もある。一瞬でも目をそらしてしまえば、そこにたまっている膨大なメッセージが二度と戻らないものになってしまう。


日本に帰ってきて、聞きなれた日本語の世界に戻ってきてしまうと、どうしても話を聞きながらほかの事を考えてしまったりする。大切な単語だけ抑えておけば、話はつなげられると思うからだろうか。でも、本当に大切な相手のメッセージは言語の裏にあったりするのだけどな。言葉が分かってしまうと、それがなかなか上手くできないなと思うのであります。