ものそのもの 

具体的に、


逃げも隠れもしないで、ただそれだけが、でもそれこそが自分なんだって、表現するテクニックは無くても表現したいものがあるからって、ものそのものを間近にしたことで自分のコミュニケーションの限界を超えられた気がして、それだけで遥々静岡県つま恋までいった意味があったなと考えていたら、無性に楽しくなってきた。


色々なアーティストが出てきてくれて、それぞれの声で歌を歌ってくれた。
気持ちの伝わってくる人と伝わってこれない人がいた。
気持ちの感じ取れる人と感じ取れない人がいた。

みんな確かにすごいけど、すごいは尊いとは違うんだなと分かった。
尊いは中身の問題で、すごいは外見の問題だと分かった。


中身の尊さを尊いままに表現することの難しさも分かった。
逆に、外見のすごさを剥ぎ取って、中身の尊さを覗き見ることのすばらしさも知った。


そしたら、無性に楽しくなってきたんだよね。