生き迫られる

働くことについて書いてある本をきっかけに、いろいろと考えることが出来た。
それに加えて、今夜の同世代仲間の話はそれをもっと掘り下げる助けになった。
僕の同期はちょうど「働いていない」から「働いている」に変わる時期を、今まさに経験した存在だから、彼らと話すことは、働くことを外からと内からで見た人の反応で、とても聞き応えがあった。

社会人になって、社会のシステムのようなものの中の一部になることは、生き迫らせるようであり、生かされ迫られる感じなのだと分かった。
僕達はみんな時間に押されつつ、時間を追いつつ、人生のゴールまでどうやって走るべきか、人生のゴールをどう作るべきか、人生はゴールを目指すものなのかを、意識無意識関係なく含むようになるんだと分かった。


走り方も、ゴールの場所も、そもそもそんなものあるのかも、そんなに簡単に分かるものじゃないし、見つけ出そうとするべきじゃないかもしれなくて、もっと他の方に目を向けるべきものかもしれないけど、今ぼくが持っているそれに対する接し方は2つあって、今はその一つの方法をとっている。


僕はサラリーマンであって、サラリーマンじゃないものじゃない。
サラリーマンじゃないものの友達は、サラリーマンじゃない方法をとっている。


とりあえず、サラリーマンである今は、サラリーマンの方法をとって、
それをやめる時には、そうじゃない方法をとろう。


実は、今はそのそうじゃない方法にすごく憧れを持っている。
なんでだろう。